うなぎの寝床 その4 引越し編

2005年3月24日  引越し準備

いよいよ引越しのことを考えなければならなくなってきました。

家を住み替える時に、一時的にも止まってしまうととても困るものはたくさんあります。

それとは別に、新居に不足しているものを購入しておかなければなりません。 また、車、バイク、自転車の類も引越しの際にあると非常に武器になります。

それ以外に、転居を通知しておかなければならないところがたくさんあります。

また、今住んでいる部屋を解約する届けを1ヶ月前に不動産屋さんに出すのを忘れたら大変です。引越し業者の選択と手配もしなければなりません。

これらの移転作業を行うには、まず引越し先の住所が決まる必要があります。

家を買って初めて知った((某)住宅さんに教えてもらった)のですが、いわゆる住所の「何丁目何番地何号」というのは、家が建たなければ振られない番号なのです。家がない間は地番といって「何丁目123」といった番号しかありません。この番号は本籍地に記されているものです。

新居が立っているところには元々家がなかったので、この「何丁目何番地何号」という住所を振ってもらう必要があります。これは家が建った時点で不動産屋さんが市役所に届け出て、それから番号を振ってもらうらしく、それが終わらないと住民票を移す事もできません。

ですから、全ての作業に先立って、

  1. まず、家の足場がはずれること。で、外からみて家に見えるようになったら、仮設ポストを設置すること。これで「家」として認知される。
  2. 役所に家が建ったことを届けて、住所を申請する。これで住所が決定する。
  3. 今住んでいる区役所に転居届け(転入)を出す。
  4. 新居の市役所に転居届け(転出)を出す。
ここからやっとそれ以外の作業ができるようになるわけです。車もバイクもこの新住所で購入できます。

車は車庫証明のチェックがありますが、バイクはそういうこともないので、住民票があれば即購入できます。

というわけで、まずは(某)住宅さんから住所決定の連絡が来るのを待ち、それが到着したらそれ以外の作業を一斉に始められるよう準備を整えておく必要があるのです。

うまくいくかなぁ。こういうときに「段取り能力」というのが必要になってくるのです。

2005年3月25日  サーバ移行

ちょっと普通の家ではないかもしれませんが、今動いているこのWebサーバは、実は僕の部屋に固定IPのADSLを引いて僕の部屋のサーバで動いています。こうした理由は、 というようなことなのですが、勉強という当初の目的を果たしたので、引越しを機会にコストのかかる固定IPからオサラバしようと思いました。

ですが、今動いているサーバはWindows2000+IIS+ASP.NETです。こういう条件のレンタルサーバはあまりありません。

インターネット上を色々探した挙句、AKIStreamという会社にお願いすることにしました。

月額6000円程度ですから、25000円もかかっている現状と比べると大きなコストダウンになります。住宅ローンを持つ身にはありがたいことです。

問題は今のrandmax.jpというドメインを移すことができるかどうかですが、これはJPDirectという会社を間に挟むことで可能らしいので、そこに依頼することにしました。

これでサーバの移行準備は整いました。サーバが外に出てしまえば家の引越し中にサービスが止まることもありません。ゆっくり引越しをすることにしましょう。

2005年3月27日  バイク購入

午前中に新居を下見した帰り、新小岩のバイク屋に寄ってきました。中古のベクスター150が出ていたのをインターネットで見つけたからです。新小岩なら市川からも近いし、修理してもらったりするのも便利だろうと。

で、行ってみたのですが、値段の割には今ひとつ。

しょうがないので、一度家に戻って一休みした後、改めて上野まで出てみました。上の子供の散歩がてら。

久しぶりに来る上野のバイク屋街は、なんだかだいぶ寂れたように思えます。前はもっと沢山お店があったと思うのですが、今はCORIN以下片手分ほどのお店しか開いていません。

そのうちの一つに跳び込みでベクスター150がないか聞いてみました。そうしたら、ありますよ。とのこと。

見せてもらうと、カナーリ程度も悪いのですが、値段もそれなりでした。2台あったのでシルバーの方を即決。車体が12万円に、名変手数料と自賠責(2年)、納車整備、任意保険(対人対物無制限1年間)全てコミコミで20万円になりました。まぁこんなもんでしょう。

まだ新居の住所が決まっていないので、決まり次第住民票を送れば、その後数日で乗り出せるそうです。この日は手付け1000円だけ置いて帰りました。

僕がこれほどまでにスズキのベクスター(VECSTER。ヴェクスターかな?)150にこだわるのは、このバイクが都内では唯一無二ともいえる「ぴったりバイク」だと感じているからです。実は以前も乗っていたのです。

小型ですり抜けもしやすく、取り回しもよく、荷物はあまり載りませんが実燃費で30Kmと原付並です。空冷4スト150ccというエンジンは、東北自動車道を流せるようなものではありませんが、首都高の流れには何とか付いていけます。基本的に原付だと思っていられて、いざというときに首都高という選択も取れる、そういうバイクなのです。

東京都内ではかなりの頻度で見かけるのですが、全国や世界ではあまりウケないのか、現在150ccという「高速に乗れる小型バイク」は、スズキのアヴェニス(AVENIS)150を含めて2種類だけです。このアヴェニスは水冷で少し燃費が悪く、デザインもちょっとモダンすぎで僕は好きになれないのです。

250ccクラスのスクーターは現在のオートバイ市場のまさに花形で種類も豊富なのですが、ちょっと都内では大きすぎる気がします(値段も高い)。もっとも郊外で、荷物が多く、しかも首都高でない高速を走る必要がある場合はこのクラスを選ぶべきでしょう。

とにかく、うまくいけば4月9日頃にバイクを入手できそうです。これでだいぶフットワークが軽くなるでしょう。

2005年3月28日  引越し見積もり依頼

そろそろ引越しの算段もしないと、引越し予定がゴールデンウィーク中なので予約が取れなくなってしまいかねません。今日は仕事を早めに切り上げて家に帰り、引越し屋に見積もりを依頼することにしました。

実は東京に来てから現在の所に移り住むまで5回の引越しをしているのですが、一度も引越し業者を頼んだことはありませんでした。今住んでいる所でさえ、今の女房と二人で必死になって運んだのです。しかし流石に今度引越しするときは業者にお願いするつもりでした。

最初に電話をしたのは、パンダのマークのアレです。フリーダイヤルに電話すると、少し関西弁の入った人が応対してくれました。日曜日の1時に来てくれるとの事。勉強してくれるかなぁ。

一つだけだと選択の余地がなくなってしまうので、アイミツということでアリの図柄の引越し屋さんにも電話してみました。ところが住所と電話番号を聞かれた後、東京の営業所から電話をかけなおさせますと言ったきり、連絡なしです。結局この日アリさんから電話が来ることはありませんでした。

いいのよいいのよ。引越し業者はオタクだけじゃないんだからね。

後日、色黒の猫とドラえもんにも見積もりを依頼しました。

2005年3月29日  マンション契約解除

仕事の帰りに、今住んでいるマンションを出る通知を不動産屋さんに出さなければなりません。これを出したら最後、4月30日には意地でも今のところを出る必要があります。もう待ったなしです。出来ればゆっくり出したいところですが、契約解除の1ヶ月前に出さないといけないので、もうタイムリミットなのです。さらば巣鴨。さらばとげぬき地蔵。

と思っていたのですが、会社の帰りに寄ってみると不動産屋さんは既に閉まっていました。

もう後が無いので、明日女房に昼間持って行ってもらうことにします。

それから、今の部屋の家賃が自動振替になっているので、4月分で止めないと払いすぎてしまいます。銀行にも行かないと。

2005年3月30日  ケーブルテレビ

国府台の、僕が引っ越す先のあたりはあまり電波の状態が良くなく、かなり高いテレビアンテナを立ててもゴーストを完全に無くすことは難しいようです。

それならばケーブルテレビにしようじゃないかと。アンテナも建てないでおこうと。

市川市には地場のケーブルテレビ局があり、そこがサービス可能かどうかを電話で確認する必要があります。とりあえずインターネットから資料請求して、サービス可能かフリーダイヤルで聞いてみると「そのへんはちょっと微妙な地帯ですがおそらく大丈夫」とのこと。

ただ、ケーブルテレビの幹線が走っているのが、新居についているアンテナ引込み線が着いている側と反対側の道路なので、壁に沿ってケーブルを這わせないといけないそうです。

新築中の方でケーブルテレビをひこうと思っている人は、テレビアンテナの引き込み位置がケーブルテレビの都合がいいところにあるかどうか、電気工事の前の段階で確認したほうがいいでしょう。僕は少し失敗してしまいました。まぁ、取り返しが付かないというほどのものでもないのですが。

同様に電話線もどちらから引き込むか問題になりそうです。確認しないと。

両方とも反対側なら、今から無理を言ってでも引き込み先を反対側に変えてもらったほうがいいかもしれないからです。

ADSLの基地局までの距離も聞いてみたのですが、国府台からは曽谷局になってしまうのでとても遠く、ADSLはお勧めできないとのこと。どうやらケーブルテレビインターネットしか選択肢はなさそうです。

ケーブルテレビにしろADSLにしろ、あまり行政境界に近い端っこの方というのはなにかと不便になりがちです。市役所も児童館も遠いですし。これから住むところを決める人はそのへんも考慮に入れたほうがいいかもしれません。もちろん優先順は人によりけりでしょうが。

2005年3月30日  新住所が決まった!

今日夕方、新住所が決定しましたと(某)住宅さんから連絡がありました。これで晴れて住民票も移せますし、車やバイクも購入できます。

ただし、車やバイクは4月1日時点での所有者に自動車税がかかるため、あせって早く登録しないほうがよさそうです。4月に入ってからゆっくりやることにしましょう。

2005年4月2日  車を見に行く

女房と二人で現地を見た後、せっかく二人そろっていてしかも子供がいない!ので、購入予定の車を見てもらいたくて車屋に寄ることにしました。

ブログ「四男の選択」にも書いたように、僕は「車はマツダ」という人間に育ってしまったので、

ということを考えると、ほぼ唯一の選択肢「プレマシー(PREMACY)7人乗り」を女房に見せて前もってOKを出してもらっておけば後の話がスムーズになります。

ということで、現地からもっとも近い「関東マツダ水元店」に寄ってきました。もちろんいいのがあればここで契約してしまってもOKなのです。

プレマシー(モデルチェンジ前)は、結構タマ数が増えているようでした。価格もまぁ60万円前後で、非常に手ごろです。

問題の3列目シートは、小柄な女房には十分な広さでした。女房の両親も小柄なので、もうこの車で広さとしては十分そうです。

僕はと言えば「この車にウッドベースが乗るか」といったことなどを考えていたりしたのですが、ウッベを買うかどうかはまた別の話。

面構えは少しトンガリ気味なのですが、それでも現行マツダ車の攻撃的な顔にくらべればずっとおとなしいものです。

女房はすっかりこの車を気に入ったようでした。現行モデルを見るまでは。

止せばいいのに、「まぁなんというか後学のために現行モデルも見せてもらえませんか?」などと僕が言ったものだから、営業の人も満面の笑みで試乗車に案内してくれました。

現行プレマシーは少しサイズが大きくなったものの、新装備、特に後席の両側スライドドアが非常にエクセレント!な感じでした。

現行モデルを見た後で前のモデルを改めてみるといささか「ショボーン・・・・」な感じは否めないのですが、新車は女房が落ち着いて運転できるようになるまではガマンガマンです。営業の人も「まぁ古いプレマシーで慣れたら、それを下取りに出して新車買ってくださいよぉ。これがマツダ地獄なんですよ」なんてことを言っていました。

とりあえずはプレマシーでよさげなので、他の店のものも何台か見て考えさせてもらうということでお店を後にしました。とはいえ、ここが一番近いマツダなので、どこで買おうとここで面倒をみてもらうことにはなりそうなのですが。

長男が生まれてロードスターを手放してからはや3年、やっとまた車を持つことができそうです。うれしいなぁ。

帰る電車の中、女房が「マツダ地獄ってなによ?」と聞くので、「いやね、マツダ車は市場で下取り価格が安いから、一度マツダ車を買ってしまうとどうしてもそれをマツダに下取りに出して、次もマツダ車を買うしかなくなってしまうのよ。それをマツダ地獄って言うんだけど、マツダの営業マンが自分で口にする言葉ではないと思う」というような話をしたら、女房が「どうせ浮世から離れてしまうなら『マツダ天国』って言えばいいのに」と。確かに営業マンぐらいは「マツダ天国」って言ってもいいのではないかと僕も思います。変なとこで自虐的にならなくても。

マツダ車の次にマツダ車を買う人が多いのは、確かに下取り価格云々ということもあるかもしれないけど、僕みたいにまっすぐにマツダの販売店に来る人もかなりの割合でいると思うのです。そういう客がいるという自信をもうすこし営業マンも持ってもらいたいものです。

2005年4月3日  引越し見積もり

朝、ドラえもんが引越しの見積もりに来てくれました。家の中をひととおり調べて出してくれた見積もりを見た率直な感想は「高い・・・」。もしかすると10万円ぐらいかと思っていた僕は流石に能天気だったのかもしれませんが、22万円を超える(税込)見積もりにはちょっと目がクラクラしてしまいました。ドラえもん曰く、 とのこと。そんなものかとも思ったのですが、目の前の見積もりをちょっと受け入れがたい心境で、午後から来るパンダに期待しつつドラえもんにはお引取り願いました。

午後、パンダも同じように部屋を一通り眺め回して、出た見積もりは17万円弱でした。さっきのドラえもんから5万円以上も安い見積もりに女房と内心小躍りしたりしたのですが、まだ少し予算オーバーです。

実はパンダの会社は新居を買った(某)住宅さんと契約があって、(某)住宅さん経由で取引をすると10%割引になるというのがあり、それで10%引いてもらった上で「もう少し安いと思っていたのに」などと女房に言わせてみると、営業の人が会社になにやら電話していろいろと相談を始めました。

しばしやりとりした後で電話を切って「トラック2台のうち、1台をダンボールの荷物専用にして、前日の夜までに荷物を半分それに積み込ませてもらえば、当日朝そのトラックだけ先に現地で荷下ろしさせて他に向かわせられますからその分安く出来ます。そうすることでこちらもトラックを有効に使えますし、そちらも荷物の半分を前日の夜トラックに詰めますから、その分部屋が広くなって残りの荷物も片付けやすくなり両方にメリットがあります」とのこと。

その結果出た見積もりは15万円を裕に切っていました(税込)。

正直なところ、僕はこの流れに少し感動すら覚えていました。パンダの「勉強しまっせ」というキャッチフレーズはこういうことなのかと。

よく値切るときには「勉強してくださいよ」などと言いますが、その心は「商売人は勉強すればするほど効率が上がって商品を安くできる。だから商売人はお客さんのために勉強し続けることがその努め」というところから来ているのだと思います。パンダの営業の人は、まさに配車の仕組みを理解しその流れを工夫することで、繁忙期に車を遊ばせることを防ぎ、その結果として見積もりの価格を下げることに成功したのです。これこそがまさに「勉強」の結果なのかと。

何の工夫もせず、我々のために人と車をを朝から晩までへばりつけて、その価格を見積もり「よそもこんなもんですよ」などと言い放ったドラえもんとはえらい違いです。

業者を使った引越しが初めての僕には、正直この値段がどれぐらい安いのか高いのかわからないのですが、この時点でパンダの商売のやりかたに共感したことと、女房の知り合いもみんなパンダに頼んでいたこともあって、パンダにお願いすることにしてしまいました。

後は、パンダの彼らが本当に「仕事キッチリ」であることを見せてもらうのみです。頼むぞパンダ。がんばれサカイ(あ、言っちゃった)。

それから、ドラえもんはもっと「勉強」しなさい。

2005年4月3日  冷蔵庫下見

午後、パンダが帰った後で天気もいいし、みんなで散歩に行くことにしました。

散歩の途中で「今から池袋に出ればビックカメラで冷蔵庫やら照明やらが見られる」ことに気付き、女房に提案すると「いいわよ」とのこと。

あまり勉強もしたことがない分野だったので、まぁみてから考えようと電車に乗り池袋ビックカメラへ。

ズラリとならぶ冷蔵庫を前に、上の子は狂喜してドアを開けたり閉めたりしています(他の人に邪魔だからやめてくれ)。

だいたい20万円ぐらいをイメージしていたのですが、多くはそれより安いようでした。しかもどれもポイント20%還元なので、値札よりもずっと安いと考えてよさそうです。

女房と僕のの願いを僕が整理した結果は

というような条件でした。

で、この条件になるべく合うものを探すと、東芝のものとサンヨーのものがヒット。

東芝はタマゴが40個も入る設計で(そんなに入らなくてもいいけど)、しかもドアではなく中に収納する設計です。

ただ、半ドアにならないような設計になっているものはみんなドアが中央から開く観音開きタイプで、ちょっと飲み物の収納量が減ってしまうのです。でもまぁ、1.5リットルのペットボトルが2本も入ればよかろうということで、観音開きはOKにしました。

後は、冷凍庫の位置なのですが、最近のものはほとんど全て冷凍庫が一番下になっているようです。唯一サンヨー製品だけが冷凍庫を野菜室よりも上に設計してあります。

とりあえず状況は分かったので、カタログをもらって家に帰りました。

部屋で色々相談したのですが、結局女房の「サンヨーは何か嫌」という一言と、僕の亡き父の「サンヨーの家電はやめておけ」という遺言(本当)を思い出したこともあり、東芝製品に落ち着きそうです。僕は充電池(とその充電器)以外のサンヨー製品を信用していないのです。

2005年4月4日  住民票移転

実は、4月1日に仕事をちょっと抜け出し、文京区役所で転出届けは出していたのでした。そしていよいよ4日の今日、市川市に転入届を出してきました。そのために午前中仕事を休みました。

本当にこういう作業をしていて辟易するのは「何回書かせるっちゅうねん!!」ということです。

転出届に家族全員の名前と生年月日が列挙されているにもかかわらず、転入届に手書きでそれを全てもう一度転記させるのです。なんでやねんと。

しかも自分の名前に限って言えば転入届だけでも「届けた人」「転入者」「家族構成」のところに計3回も書かされます。しかも、新住所、旧住所、本籍、全部転出届に書いとるっちゅうねん!!それに印鑑証明の登録願い、印鑑証明書の発行願い、住民票の写しの発行願いと、全てに発行される人と取りに来た人の名前で二箇所ずつ書かされます。自分の名前を何回書かせるのかと。アフォかと。

しかも、児童課で児童手当を申請するところでも子供の数だけ申請書を書かされ、小児医療の申請書も書かされ、もうホトホト嫌になります。

住基ネットは何をやっとるのかと。全員に番号を振っただけなのかと。何も変わっとらんぞと。大山鳴動してねずみ一匹も出てこねぇのかオラァ!

「いちかわ便利帳」をもらって市役所を出る頃には右手が痛くなっていました(ちょっと大げさ)。

その後、水道橋の小石川税務署に「税金を支払う場所の移転登録」をしてきました。こちらはこちらで、同じ書類を二枚書かせ、片方は原票で税務署が持ち、もう一方は控えで僕が持って帰るという、税務署お決まりのパターン。

二枚書かせるのかと思いきや、テーブルにカーボン紙が置いてあって、それで複写してもらってもいいですよと。

「それは楽チン」と、カーボンを使って二枚書類を作成したのはいいのですが、書き終わったカーボン紙を見てみると、裏にくっきりと僕の名前や住所が残っています。知らない人の住所と電話番号も沢山読み取れます。

個人情報保護法案が施行されようかというときにこれはないだろうと。誰かがこのカーボン紙を一枚持っていくだけで、数十名の個人情報が漏れてしまうでしょうよ。個人情報保護法案は主にコンピュータからの漏洩を心配しているようですが、こういうアナログなところもちゃんと考慮しないとイカンということです。一応税務署の人には言っておきましたが、たぶん次に来たときもあのカーボン紙はあそこにあるでしょう。

ところでここだけ読むと僕はずっと怒ってばっかりの人間かと思われそうですが、そんなことないんですよ。ほんとに。

2005年4月5日  バイク屋に住民票送付

昨日市川でゲットしてきた住民票を上野のバイク屋に郵送しました。本当は昨日送りたかったのですが、郵送用の封筒を家に忘れてきてしまったので今朝の送付になりました。こんなことで予定が1日遅れてしまうのです。まぁ、バイク納車が1日遅れたところで大きな影響はないのですが。

2005年4月5日  車を買ってしまった

どうも仕事がはかどらないので、定時退社して浦和まで中古車を見に行くことにしました。60万円のプレマシー、11年式、走行42000キロ、車検1年付き、DVDナビ付きという出物です。

何度も見に行く余裕はないので、悪いところがなければ決めてしまうつもりで、いきなり印鑑証明持参で臨みました。

で、即決。

多少キズはあるものの、まぁ年式の割にはきれいで、エンジンも多少ガサツなところがあるもののよく回ります。

内装もほとんど汚れておらず、むしろ買った後でウチの子が汚すに決まっているのでもったいないとさえ思えるほどです。

車体価格以外の見積もりを取ってもらったのですが、税金や登録諸費用、納車整備など全て込みで23万円。どうなんだろう。高いような気もするが・・・・きっと車体の値段を下げた分諸費用の値段を上げてバランスをとっているのでしょう。

しかしまぁ、どっちにしても後で付けようと思っていたDVDナビが付いていることを考えると、乗り出し83万円ならそう悪くはなさそうだと思いました。

思えば長男が女房の体に降りてきて、ユーノスロードスター1600を売り払ってから早3年、やっと再び車を手にすることができました。独身男のロードスター乗りが結婚して子供ができてプレマシーというのは「マツダ的王道」もいいところだなぁと自分でも思ってしまいますが、子供が独立したらまたロードスターに乗りたいものです。そのころまでロードスターというモデルが存続していてくれればいいのですが。

ナビは本当にありがたい。ナビは夫婦仲を維持するためにはなくてはならないものなのです。女房は典型的な「地図の読めない女」で、ナビなしのロードスターでドライブに行っていた頃は「今どこなんだよ!」とハンドルを手に大声で叫ぶ僕と、「わかんないわよ!」と地図を手に逆切れし絶叫する女房(当時は彼女)、というような状況がしょっちゅうだった(大声なのはオープンカーだから)のですが、これからはナビのおかげで夫婦円満です(たぶん)。

ともあれ、月末にはカーオーナーです。これで住宅ローンがなくて毎日休みだといいのですが。

2005年4月6日  ケーブルテレビの申込み

朝、いちかわケーブルネットワークに電話をして申込みの手続きをお願いしました。線を引いてくることができそうなところまでは先日電話で確認していたので、後は実際に引き込むことができるかをもう少し詳細に調査してもらうことになります。

屋内のテレビ配線がケーブルテレビ側の提示する基準を満たしているかも問題なので、ケーブルテレビ会社が添付してきた配線の基準書を(某)建設にFAXしておきました。だめならどうするんだろう。アンテナ立ってないし。

2005年4月8日  ADSL回線解約

現在使っているサーバ回線はKDDIのサービスを利用しているのですが、3月25日のところにも書いたようにレンタルサーバに移行する決断をするため解約することにしました。

サービスセンターに電話したところ「解約申込書をインターネットからダウンロードして郵送してください」とのことだったので、PDFファイルをダウンロードして記入し捺印して封筒に入れ、宛名を書きました。

宛名を書いてから気付いたのですが、KDDIのサービスセンターは飯田橋にあり、僕の現在の通勤先から徒歩5分ぐらいのところにあります。いつも行く本屋が入っているガーデンエアタワーの上がKDDIのオフィスだったのです。

というわけで、郵送するのもばかばかしいので会社をちょこっと抜け出し直接持参しました。

受付直通のエレベータを降りた先は、まさに「大会社の受付だなぁ」としみじみ思えるものでした。広い待合室、こぎれいな商品展示、そして華やかな受付のお姉さん達が僕を待っていてくれました。

受付のおねえさんに「近いので直接持ってきた」旨を話して手紙を渡すと、にっこりと笑って手紙を受け取ってくれました。

こんなアバウトな方法で本当にちゃんとサービスセンターに手紙が届くかちょっと不安でしたが、夜、家に戻ってメールをチェックするとちゃんと「解約を受け付けました」というメールが来ていました。

というわけで、後は今月中にレンタルサーバの方をちゃんと立ち上げてドメインを移行しないとサービスが止まってしまいます。

まぁ、僕のサーバが止まったところで誰かがものすごく困るということはないと思うのですが・・・・

2005年4月9日  電話番号が決まった

市川のNTTから連絡がありました。 住所が確認できて電話番号が決められるようになったということで、五つほど候補をもらい、その中からゴロのよさそうなものを女房と相談して一つ決めました。

この番号は子供たちが独立した後、両親の顔を思い出したときにダイヤルされる番号なのです。

この番号がおそらく今後ずっと使われることになるのでしょう。固定電話がこの世にある限り。

2005年4月9日  バイクが来た!

念願だったバイクがようやく納車になりました。待ち遠しかったなぁ。羽が生えたような気分です。

ずっと仕舞ってあったちょっとカビ臭いヘルメットを引っ張り出し、上野までそれを抱えて電車に乗りました。

納車されたベクスター150は、思いのほか絶好調でした。傷はあるものの、エンジンはまだまだ快調で、フレームにもほとんど問題が無いらしく、直進安定性も以前乗っていたものよりずっといいようです。

12万円でこれなら「当たり」かも。

こういう低価格中古バイクは、決める前に試乗することもできないことがほとんどですから、買うのはほとんど「賭け」に近い状態になります。今回のバイク購入は我ながら好判断だったようです。

で、名前をつけなければならないのですが(いや、別につけなくてもいいのですが)、おでこ(ヘッドライトの上)に大きな傷があることと、色がシルバーであることから「銀次郎」と名づけようと思いました。

が、女房に話すと「硬派銀次郎」を知らない!!

ジェネレーションギャップ(単に男女差かも)に軽いショックを受けつつも、もう少し時代が後で、女房も知っていた「銀牙」と名付けるにしました。

まぁバイクはどことなく四足の動物をイメージさせるところがありますから「銀牙」の方がふさわしいようにも思えます。でも実は「銀牙」はマンガのタイトルであって犬の名前ではないようなのですが。

早速前に乗っていたCX400カスタムの遺品となっていたGIVIの巨大トランク(ヘルメット二つ収容)を取り付けました。

ですが前も書いたように、このバイクに大型トランクをつけるとどうしても後輪荷重が強くなってしまうのです。ヘルメットぐらいならまだしも、重いノートパソコンなど入れるとちょっとウイリーしそうなぐらい。

その理由を僕はスクーターだから元々後輪荷重が強いせいだと思っていたのですが、今日トランクを取り付けてみてもう一つ理由があることが分かりました。

ベクスターは、シートの真後ろ、お尻の跳ね上がりのところに給油口があるのです。そのため、給油口を塞がないよう、純正キャリアがそのぶん10cm以上後ろにさがって取り付けられる結果となっています。

この10cmが荷重配分に与える影響は非常に大きく、重いものが重心からそれだけ離れているとバイクの挙動がかなり不安定になります。

お尻の給油口はベクスターのスタイリングを引き締めている要素の一つだとは思いますが、設計上はもしかすると失敗なのかもしれません。(前カゴをつけるとバランスがとれる?)

しかし、総合的には非常にいいバイクだと思うので、大事に乗っていきたいと思っています。

走れ銀牙!!!目指せ10万Km!!

2005年4月10日  照明の下見

天気がよく、桜も満開なので、また二人の子供を連れて遠出をすることにしました。場所は雑司が谷の鬼子母神です。ここは二人目の子供の願掛けにも来たところなので、東京にいる間にお礼に行かないととずっと思っていたのでした。

巣鴨から地蔵通りを過ぎて都電に乗り「鬼子母神前」で降りれば徒歩5分ほどで目的地です。

絵馬を奉納している間、上の子はずっとせんべいを食べていました。

結構風が強く、境内はひどく埃が舞うので早々に退散し、池袋までテクテク歩いてこないだ冷蔵庫を見たビックカメラで今度は照明器具を見てみることにしました。

なんというか、室内照明は全面的にインバータの時代になっているのですねぇ。今の家についている照明は全てチカチカするトランスとグローランプを使った蛍光灯ですが、今はもうほとんどそういうの売ってません。

制御もリモコンがついているものが大多数で、ヒモがぶらさがっているのは「安モン」のようです。別にこんなことにまで電池を使わなくてもいいんじゃないかという気がしなくもありませんが。

価格的には居間のものだけ奢って2万5千円級のものにしておけば、それ以外のは1万円ぐらいので十分そうです。

トイレの照明なんて、誰も見ていないのですから1000円ぐらいのでも全然大丈夫です。

というわけで、総予算10万円弱で照明機器はそろえることにしましょう。

それにしても電気代かかりそうだなぁ。

2005年4月10日  サーバ移行 その2

JPドメイン管理サービスをやっているJPDirectからドメイン設定OKの連絡が郵送されてきたので、さっそくサーバを移行することにしました。

女房子供の寝静まった夜中、一人でシコシコとサーバ用プログラムの移植とテストをします。

どうやらDBも含めて無事動くようなので、ドメインを移行することにしました。

JPDirectのWebサーバにログインして、DNSの設定を変更します。

これで「http://www.randmax.jp」というURLでこれまで僕の自宅に接続していたのが、AKIStreamのサーバに接続されるようになります。

というわけで、今これをごらんになっている人は、おそらく新しいサーバを参照していると思います。もしかすると今までのサーバよりも少し遅いかもしれません。回線もサーバも他のドメインと共有になっていると思うので、まぁしょうがないでしょう。

メンテナンスにFTPが必要になるのは少し面倒ですが、今まで重い心の負担になっていたサーバ管理から開放されるかと思うとだいぶ気が楽になります。固定IPサーバのポートをインターネットに公開するのは本当にしんどかったぁ。こんなことあんまり個人でやるもんじゃありません。皆さん仕事でなければ素直にレンタルサーバを使用しましょう。

2005年4月12日  郵便局に新住所届け

本当なら先週末には届かなければいけない保険証が新居に届かないので、女房が市川の郵便局に確認してみたところ「その住所宛の郵便物は郵便局で止まっている」と言われました。

仮設ポストも表札も設置しているのに何で届けてくれないんだろうと思ったのですが、よく聞いてみると、「該当の住所が郵便局に登録されていないから」とのこと。

えー、そんなの知らなかったよ。住所が新しくできたら郵便局に届けないといけないなんて。

だいたい郵便局員は新築されつつある家を毎日見ているはずですから、「こないだまでなかったところに家ができた」ことぐらいわかりそうなもんですが。なんで「とりあえず持って行ってみよう」と思わないんでしょうか?

とにかく今止まっている郵便物は家族全員の保険証なので、届かないと非常に困ります。市川市からもらった仮保険証は11日で期限が切れているので、目下手元に有効な保険証がない状態なのです。2歳児と乳飲み子を抱えた身としてこれはとても困ります。

文句を言っていてもしょうがないので、取り急ぎ郵便局に届けを出してきました。驚いたことに特に新規住所を登録する届け出用紙はなく、転居届けに窓口の人が赤マジックで「住所が新しくできました」と書いたものを渡してくれました。これに記入捺印して免許証で本人確認をして届け完了です。面倒なので転居届けも一緒に出してきました(転送を始めてほしい日を書くところがあったため)。

確かにこういう手続きがないと、勝手に誰かが空き地にポストを置いて住所を書き、郵便物がそこに届くようにして悪いこと(不正請求とか、ネットオークション詐欺とか)をしようとする人がいるから、ポストがあっても身分の確認された人からの届けがなければ郵便物を届けないようにしているのでしょう。

しかし市川市も、新しい住所を発行したんだったらそれを郵便局にぐらい通知してくれればいいのに。今はまだ郵便局は完全な民間企業というわけではないのですから。こういうのを「縦割り行政」って言うんだろうなぁ。だからあちこちで何度も何度も名前と住所を書かないといけなくなるのです。

2005年4月13日  また税金かよ!

船橋県税事務所から封筒が来ていたので開けてみたら、「不動産取得税課税物件明細書」でした。

こないだ生まれて初めて「固定資産税」を納税して、少し凹んでいるところだというのに、畳み掛けるようにまた税金です。

しかもこれは土地だけなので、来年にはまた家屋の分の請求書が来るのでしょう。

添付されていた説明書は分かりにくいことこの上ないものでしたが、何度も読んでいるうちに「この税金はどうやらそこに家を建てて住むために土地を買った人を対象にした税金ではない」ということがわかってきました。買った土地に家を建てて住む場合は、土地の分の税金はチャラになってしまうようなのです(普通に住めるような床面積の家なら)。つまり、この税金は「不動産転売税」というようなもので、不動産を転売するだけで利ざやを稼いでいる人たちに対する課税のようなのです。

で、電話をしてみたわけです。そうしたら、「5月末までに家の登記が終わるようでしたら、それまで納税せずに請求書は保留して、こちらから軽減措置の申告に必要な書類を送りますんでそれと必要書類を提出してください。終わらない可能性がある場合は『納税猶予申請』を提出してください。」とのこと。買った土地に2年以内に家を建てるつもりなら、家が建つまで粘ってください、ということです。わかりにくいなぁ。

しかし気になるのが、「評価額」のところで、実際に土地を買ったときの値段に比べるとだいぶ安いんですよ。これが。

まぁ、買ってそこで暮らすことを決意した身にしてみれば、役所が勝手に決める土地の評価額など安いほうがいいに決まっていますが、なんだかちょっと損したような複雑な気分です。

2005年4月19日  NHKの恐ろしいワナ

今日、いちかわケーブルネットワーク(ケーブルテレビとインターネット、以下ICN)の申込書を書いていたのですが、五枚複写の申込書を書き終わってペラペラめくってみると、一枚目のICN控えと二枚目の口座振替依頼書に続いて三枚目にNHKの「団体一括支払利用申込書」が!

要するにNHKの受信料をICNにまとめて請求してもらうことの申込書なのです!

僕に複写書類を一枚一枚見る習慣がなければ、危うく「知らないうちにNHKと契約」させられてしまうところでした。

それとは別に、「B−CASカードユーザー登録申請書」も書かされます。これは衛生デジタル放送の双方向通信機能を利用する際に必要なIDカードを発行してもらうためのもののようです。これがあると「紅白歌合戦の視聴者投票」なんかに参加できるそうですが、一言「そんなもんイラン!」

この書類の下半分は「NHKにあなたの個人情報を提供しますか? はい/いいえ」という欄があり、「いいえ」の場合はNHKに情報はいかないもののNHK BSデジタルの画面に「受信機設置のご連絡をお願いするメッセージが表示される」そうです。

デジタル放送や双方向放送をNHKが推進する理由は、実はこんなところにあったのです。NHKのデジタル放送は、「ここで僕はNHKを見てるよ〜」という連絡をNHKにしない限り、画面にメッセージを表示し続けるしくみをわざわざ仕込んでいたのでした。

以前BLOGにも書いたように、僕は今のNHKと契約するつもりは無いのでこれらの申込みは無視しましたが、何とかして契約をとろうというNHKの姿勢を垣間見たケーブルテレビの申込みなのでした。

2005年4月22日  車庫証明エラー 車庫が見つかりません

世の中にはまったく融通の効かない人がいるもので、今日、車屋から電話がありました。

車庫証明の申請をしたのだが、車庫とは認められないとはじかれてしまったとのこと。

車庫になる予定の場所はまだコンクリートを打ってはいないのですが、明らかに車が一台分入るスペースが空けてあるのでこれで車庫証明が取れると思っていたのですが、どうやら甘かったようです。もしかすると外構用の資材が集積してあったりしたのかもしれません。

それにしても、一戸建の新築がすでに完成していて、玄関横に車一台分のスペースが空けてあれば、そこに今レンガが集積してあろうが近い未来にそこが駐車場として機能する場所になることは容易に予測できるでしょうに。家の持ち主がそこに車を置くと言っているのに、今そこに車が入れないからといって車庫証明を拒絶する理由がどれほどあるというのでしょうか。

逆に言えば、今そこにいかにも車庫っぽい空きスペースがあったからといって、そこが将来車庫になるかどうかは持ち主次第なのですから、現場の状態だけで判断することに大きな意味があるとは思えません。

結局車庫証明が取れるのはコンクリートが打たれる入居直前になっしまい、入居時の一番車が必要な時(照明などの大きな急ぎの買い物が発生する)に車は車屋で待機するだけになってしまうのです。

なんだかなぁ。

2005年4月22日  ローン契約

とうとうこの日がやってくることになってしまいました。20年のローン生活の始まりです。

朝、連帯保証人になる女房をバイクの後ろに乗せて市川へ。市役所に行って不足していた印鑑証明をもらい、自分に気合を入れるため本八幡駅前の回転寿司屋で昼食をとりました。目の前を通過していく500円の皿を見送りながら、女房と「いつかローンを完済したら、その時にまたここへ来てこの500円の皿を一緒に取ろう」と、堅い誓いを交わしたのでした。

ローンの契約で決めないといけないのはなんといっても金利計算の選択です。半年ごとに金利が変わる変動金利と、数年ごとに金利を見直す固定金利があるのですが、固定金利は2年といった短期の場合利率がかなり低くなります。ただし、2年目に改めて固定金利にするために手数料が再びかかります。 この説明を以前受けたときから色々考えていたのですが、自営業という、いつ仕事がなくなるか分からない身分を考えると「稼げるときにできるだけ稼いで繰り上げ返済する」ことが至上命題である僕にとって、2年固定が最もふさわしいもののように思えます。で、2年たった時点でごっそりと繰り上げ返済して、後の残りをボチボチ変動で返していくようなプランを選ぶことにしました。 決めてしまったら後は大量の書類に署名捺印するのみです。個人情報保護法案のおかげで、署名する書類は以前よりさらに増えたそうで、おしまいの方は集中力も切れ誤字ばかりしていました。 あと、ローンの条件としてローン終了まで火災保険に入ること、というのがあります。火災保険はどうせ入るなら、入るお金があるときに入れるだけ入ってしまおうということでローンは20年なのに35年分前払いしました。太っ腹だなぁ。もしこれで10年目に火事で消失したりしたら、残りの40年分は清算してくれるのでしょうか。そうでないと前払いするの馬鹿みたいだしなぁ。

2005年4月23日  冷蔵庫と照明を買いに行く

いよいよ引っ越し準備も佳境に入ってきて、家の中が段ボールだらけになってきました。興味ざかりの上の子をこんなところにいさせては危険だしいたずらばっかりするので、上の子だけ女房の実家に預かってもらいました。

上の子がいなくなると行動も制約がだいぶなくなるので、それならと改めて池袋のビックカメラに行って冷蔵庫と照明を決めてくることにしました。

冷蔵庫は前回ほぼ東芝のものに決まっていたので、後はいろとサイズを選びました。サイズはスペースに入らないと困るので少し余裕を見て450リットルのものに。色は在庫がある中で一番落ち着いた色のブラウンにしました。

照明のコーナーで改めて最新の照明器具をまじまじと眺めて驚いたのですが、照明器具はいつの間のにか「スリム管もしくはツイン管」の時代に突入していたのですね。普通に見られる太い蛍光管を使ったものは本当にローエンドのものしかありません。

店員さんに聞いてみると、京都議定書批准の結果、炭酸ガスの排出基準を満たすために照明器具を省エネタイプに業界全体で変えていく動きが始まっているとのこと。スリム管やツイン管は、従来のものに比べて10パーセント以上効率がいいそうです。しかも最新型はほぼ全てがインバータ式になっており、ヒモはなくなりリモコンが付属しています。時代は変わったなぁ。

で、問題はスリム管のものにするかツイン管のものにするか、です。

売り場全体を見回してみると、シェアは7:3でスリム管優勢といったところです。

ツイン管のスリム管に対するメリットは、

というところでしょうが、逆にスリム管には というようなメリットがあります。

特に二番目は重要で、ツイン管では切れたときのために100wの管と85Wの管の両方を備蓄しておく必要があるのに対し、スリム管では100W級のセットを一つ買っておくだけで済みます。

店頭で女房と下の子を待たせたままずいぶん考えました。スリム管は見た目がきゃしゃで交換のときに折ってしまいそうに見えて恐い。でも、今のシェアを見るとツイン管はジリ貧になっていくのではないかという予感もします。

さんざん考えた挙げ句、スリム管でそろえることにしました。やはりこういうサプライを無視できない商品ではシェアは絶対的な力なのではないかと思ったからです。

冷蔵庫も入れ20万円以上の買い物をして、まとめ買いレジで配送先を指定しました。ついでに今ある冷蔵庫を引きとってもらうことにして、処分費用はポイント清算にして、買い物終了です。

これで、製氷皿から氷がはずれず、台所で製氷皿を手に獣のように暴れまわる必要もなくなるでしょう。楽器を運んでいる時に楽器のヘッドが照明の垂れ下がったヒモにひっかかり、電気が消えた上にヒモが切れて、闇の中女房の怒りを買うことももうありません。最新家電バンザイ!

2005年4月24日  カーテンを買いに行く

そういえばまだカーテンを買ってなかったぞと。時間もあるしこれから買いに行こうと、とげぬき地蔵通りのカーテン屋に行ったところまではよかったのです。

ところがカーテン屋に行って愕然としました。店員さんの「レールはもう付いているのですか?」という一言に二人して絶句してしまったのです。

カーテン屋さんによると、とにかくカーテンレールを付けないことには採寸ができないからちゃんとしたものは付きませんとのこと。そりゃそうです。

それではカーテンレールをつけないといけないわけですが、それにせよ、ちゃんと寸法を計った上でレールを買ってきて付けるか、業者さんを呼んで付けてもらうしかないわけです。

いずれにせよ、コリャ今日は話にならないので、一度カーテン屋さんからは撤退して作戦を練り直すことにしました。

レールさえあれば、それを取り付けることぐらいはできると思いますが、車もないのにそんなに長いものを持ってバスに乗るわけにもいきません。業者の値段も調べてみましたが、自分で付けるよりだいぶ高くなってしまうようです。

で、女房の結論。しばらくカーテンはなしで我慢して、通販で買おうと。

まあ、それならそれでもいいやと、とりあえずはその線でいくことにしました。

それにしても勉強不足だったなぁ。恥ずかしい。

2005年4月18日〜27日  引越し準備

18日にパンダからダンボールが届いていたので、とりあえず1日2箱を目標に箱詰めしていくことにしました。

とはいえ、昼間は働いていますから夜家に帰ってこの作業をやるのは正直つらいものがあります。

ティッシュを鼻に詰め、タオルでマスクをしても、1時間ほどでのどや目が痛くなり、鼻はズルズルになってきます。

それでも25日の週に入る頃には何とか形がついてきました。

28日の夕方にはパンダが第一便を取りに来るので、少なくともそれまでに2トントラック一杯分の荷物を作っておく必要があります。

もう両手傷だらけ、体中ほこりまみれ、腰は赤信号、肩にはサロンパス。それでも気晴らしにと音楽をかけて、箱詰め作業は続きます・・・・・

2005年4月28日  引越し前夜

いよいよ引っ越しの日が間際になってきました。今日は午前中に建物の売買契約をした後、レンタカーを借りてパンダが運んでくれない熱帯魚や、壊れると非常に困るコンピュータなどを前もって運んでおく予定です。

そして夕方にはパンダが積み込みにやってくるので、それまでにトラック一台分の荷物を作っておかなければいけません。まさに目の回るような忙しさです。

朝9時、バイクで某銀行の本八幡支店に到着。いつのまにか入金されていたローンの借入れ金が、目の前で消えていきます。たくさん振り込みと引出の伝票を書いて、はんこを沢山押して、きっちり1時間後には建物の譲渡契約が完了していました。

それにしても僕の場合、土地は現金決済でローンは建物分しかないのに、担保は土地まで取られてしまうのですねぇ。こちらの収入を確認して、団体信用保険にも入らされて、女房を連帯保証人にされて、家は抵当に入れられて、ローン終了までの火災保険にも入らされて、その上何の関係も無い土地まで抵当権を付けさせて、ほとんど何のリスクも無い貸し出しに1.5%も利息を取って、いい商売だなぁ。住宅ローンって。

とにかく家は僕のものになったので、後は引っ越しのことだけを考えればいいわけです。

それとは別に、朝市川に向けて疾走中、ビックカメラの配送屋さんから電話があり、今日予定されている冷蔵庫と照明と配送は午後5時から7時までの間になるとのこと。困ったなぁ。レンタカーを返すのが5時ぐらいになると思うので、どう頑張ってもその時間に現地に行くことができません。 困り果てた結果、(某)建設さんに助けてもらうことにしました。本当はこういうことが仕事ではないと思うのですが、カギを持っているのが僕と(某)建設さんしかいないので仕方がありません。忙しいところをお願いして、冷蔵庫が来る時間に現地で玄関を開けて荷物を入れておいてもらうようお願いすると、(某)建設さんは快く引き受けてくれました。ありがとう。 そんな手配をしつつバイクで東京までトンボ返りして、レンタカーを借りて、水槽、コンピュータ、その他ごちゃごちゃしたものを車に積み込んで国府台へ。連休直前でしかも月末のために都内の道路は大渋滞です。でもレンタカーは連休中扱いでケツカッチンなため、何としても六時までに東京に戻らなければいけません。

ノロノロと走りながらそれでも1時間半ほどで現地に到着。熱帯魚が死なないように最低限の装備を動かしてから、息つくまもなく残りの荷物をおろして再び東京へ。この間に東京ではビックカメラが古い冷蔵庫を引き取りに着てくれているはずです。

東京に戻りレンタカーを返して家に戻った時にはもうすでにパンダのトラックが到着していました。

さすがに荷物を自分で積み込む必要はないものの、積み込んでいる間に少しでも梱包を増やすために片付けを進めます。

積めるだけ荷物を積んでパンダが帰っていったのは夜八時ごろでした。「明日朝七時半に来ますからそれまでに残りの荷物をまとめておいてください」という言葉を残して。

ガランとしたホコリっぽい部屋に残された夫婦はとにかく腹ごしらえしようと町に出で、スタミナをつけるため焼肉を食べながら「1時までに何とかしよう」と誓いあったのでした。

部屋に戻って部屋中に散らばった「その他のもの」を選別しながら黙々と箱に詰めていると、12時を回ったころから女房の動きが悪くなってきました。無理もありません。朝6時ぐらいに起きてからほとんど休むまもなく動きまわっていたのですから。

しかしそうは言っても、明日の朝にパンダが来たとき、まだ荷物がまとまっていないと大変面倒なことになります。辛いですが頑張って今夜を何とか乗りきるよりほかはありません。

明日のジョーのように座ったまま灰になりかけている女房を時々起こしながら、一応細かいものを段ボールに詰め終わったのは2時過ぎでした。まるまる20時間力の限り動き回った我々夫婦は、疲れきった体を埃まみれの布団に横たえたのでした。

2005年4月29日  引越し!

引越し当日、パンダが来るよりわずかに早く目を覚ました僕ら夫婦は、少し片付けてパンダの到着を待ちました。残っている細々としたものを半ばヤケクソ気味に箱に投げ込んでいるうちにパンダが到着し、再び戦いが始まりました。

それから1時間、パンダは猛烈な勢いで部屋の中のものをトラックに積み込み、我々が積み残していたゴミだかなんだかわからないものもいつの間にか箱に詰めてトラックに積み込んでしまいました。

何も無くなった部屋はガランとしていて、ここで新婚時代から二人の子供ができるまでの5年間を過ごしたことが夢のようでした。狭い狭いとずっとぼやいていた賃貸マンションでしたが、何もなくなってみると寂しいほど広いところでした。

というような思い出に浸っている間に、パンダはトラックの荷造りをして出発してしまいました。ぼやぼやしているとトラックの方が先に現地に着いてしまい、現地で待たせる結果になってしまいます。

部屋のキーは本当は不動産屋さんに持って行こうと思っていたのですが、朝8時出発のためまだ開いていません。しょうがないのでカギは開けたままにしておいて、キーは現地においておくことにしました。

最後に二人で部屋全体の確認をすると、キッチンの引き出しの中身がまるまる残っていてびっくり。包丁まで残っていました。

しょうがないので、包丁は雑巾にくるみ、それ以外のものもゴミ袋に全部投げ込んでバイクの足元に積んで持っていくことにしました。危ないなぁ。もうヤケクソもいいところです。

二人で「銀牙」に乗り込み、現地まで1時間少々。さらば巣鴨。さらば東京。会社を辞めて独立し、これから一人でやっていくんだと腹を決めて構えた自宅兼オフィスの賃貸マンションも巣鴨でした。その後結婚を機に引っ越したのも同じ巣鴨でした。都合10年間も巣鴨で暮らしていたことになります。道も隅々まで覚えてずいぶん馴染んだ町でしたが、これでお別れです。さらば千成のモツ焼き。さらば橋のたもとの串焼き屋のおっちゃん。さらば宮下公園。そしてさらば巣鴨ローヤルコーポ。

現地に着いたのは9時前でした。幸いまだトラックは着いていないようです。窓を全部開けて空気を入れ替え、トラックの到着までしばしの間ゆとりを楽しみます。鳥がチュンチュン鳴いています。陽射しもさんさんと輝いています。はやくカーテンを着けないと。

真新しい畳のイグサの香りを楽しみながら広い居間でゴロゴロしていると、程なくパンダのトラックが到着しました。家の前後の道路は狭いので2トンのトラックにはきつそうです。それでも前後に1台ずつトラックが横付けされ、家の養生が始まりました。

荷物は全てパンダが上げてくれるので、我々は基本的に待機して荷物ごとにそれをどこに置くかを言うだけで済みます。大物の衣装ダンスはベランダからロープで吊って上げていました。もうこうなると基本的に業者に頼む以外の選択はないでしょう。今回の引越しは業者に頼んで本当に正解でした。自分でやるのは無理無理。

荷下ろしは2時間ほどで終わり、昼前にパンダは挨拶をして次の現場へと去っていきました。ありがとうパンダ。よくがんばったぞパンダ。仕事キッチリだったぞサカイ(あ、また言っちゃった)。

パンダが帰っていくと、ようやく我々夫婦に静寂が戻ってきました。まだ部屋中ダンボールだらけではありますが、眠りを邪魔するものはもうありません。既に身も心も目も鼻ものどもボロボロなので、とりあえず体調を崩さないように少し休むことにしました。

お昼寝明けの昼下がり、夜になる前に照明を取り付け、夕食へ。今日は外食です。近所のガストで栄養を付け、ドリンクバーのコーヒーを飲みながらお互いの苦労をねぎらいました。大変だったなぁ。引越し。もう二度とやんないぞ。

2005年4月30日 〜 5月8日 新居整理

何とか引越しは終わったので、あとは新居を片付けるのみです。40個にもなるダンボールを開けつつ、中身を収納に詰め込んでいきます。

とにかく台所周りと居間を何とかしないことには衣食住に困ってしまうのでそれを優先して、僕の部屋は後回しにして作業をすすめました。

2日には電話が開通し、市川ケーブルテレビが来てくれてテレビも無事に開通しました。設置されたチューナーでは地上波デジタルもBSハイビジョンも見られるのですが、僕が独身の頃から使っている13インチのテレビではあまりにも寂しい・・・・寂しい寂しい寂しい!!!!

というわけで、3日に柏のビックカメラでテレビを買って来てしまいました。32インチの液晶AQUOSで、ポイント29%を引くと20万円を切っているのでかなり安いと言えるのではないかと。

7日に32インチハイビジョンのテレビが設置され、その画像を見た女房は「電気屋の店頭でテレビを見てるみたい」って。貧乏臭い発言だなぁ。

でもそう言う僕も居間で鑑賞するハイビジョン映像にうっとりです。

僕が始めてハイビジョン映像を目にしたのは、遅らく1992年頃だったでしょうか。当時作っていたGADGETというCD-ROMタイトルのデモ映像を、当時まだ出始めたばかりのハイビジョン映像で作ってみないかという提案がおそらくSONYさんからあり、アーティストの庄野さんが徹夜で動画をレンダリングして、それをCD-Rに焼いてハイビジョンの編集機に取り込んでいたのを覚えています。

そうして出来上がった映像は本当に夢のようなものでした。まだコンピュータの画面も640×480ドットが一般的で(Mac)、出始めのQuickTimeも160×120の動画をパラパラと動かすのが関の山だった頃、ハイビジョンモニタの中で動くハイレゾのフル動画の美しさは想像を遥かに超えていたのを覚えています。

そのハイビジョンが14年の時を経てやっと僕の部屋に届いたのです。時間がかかったなぁ。

地上波デジタルはまだまだまじめにハイビジョン放送をしているとは言いがたいですが、BSの方はCMも含めてかなりがハイビジョン放送しており「もう普通のテレビには戻れない!」といった心境です。

早く地上派デジタルも本格的にハイビジョン化してくれないかなぁ・・・現在のところはまだ「試験放送」の雰囲気がプンプンしています。多くの番組がアナログ(4:3)用の映像を放送局の側でスクイーズして、それに字幕を乗せて放送しているようなのですが、字幕の位置が4:3用のテレビに合わせてあるので、両脇に開いたスペースにはほとんど何の意味もありません。

まぁ地上派デジタルが遍く日本全土に届くまで、この状況は続くことでしょう。

連休も終わりに近づくにつれて、家の中は片付いてきました。僕の部屋もコンピュータと楽器がセットされ、いつでも楽器とコンピュータに触れられる状態です。

家の中の危険なものが片付いたところで、女房の実家に二人で子供達を迎えに行きました。

子供達は自分達の故郷となるこの家を気に入ってくれるでしょうか。

でもそんなことは大した問題ではないのかもしれません。子供にとっては、常に自分達の両親がいる場所こそが故郷なのですから。