2006年01月

2日  お正月

新年あけましておめでとうございます。

ことしもよろしくお願いいたします。

さて、昨年は色々なことがありました。

家を建てて千葉県民になったこと。二人目の子育てが、一人目に比べると倍以上大変だと知ったこと。人生最悪の仕事に見舞われ、体調を壊して入院までしてしまったことなど・・・。

せめて今年は仕事運に恵まれますように(-人-)

あぁ・・・四日から仕事かと思うと気が滅入ってきた。

「おおみそかだよドラえもん」で久しぶりに「どくさいスイッチ」を見て、本気で欲しくなってしまう37歳の正月なのでした。

15日  ゆとり教育

ここのところ、中高校生の学力が下がり、「ゆとり教育」の弊害が叫ばれるようになってきました。文部科学省も問題を認め、ゆとり教育を見直す動きが始まっています。

でも、冷静に考えると「当たり前やん!!」としか言いようがありません。

「本当の学力とは何か」ということを見直すことから始まった「ゆとり教育」の結果を計る方法として、これまでと同様のテストを使っているのですから、結果が悪くなるのはあたりまえなのです。今行われているペーパーテストは、これまで行われた詰め込み教育の成果を計るためのテストなのですから。

「ゆとり教育」推進派の大きな失敗は、「ゆとり教育」の結果を世に知らしめるための専用のテストを一緒に導入しなかったこと(できなかったこと)でしょう。

ゆとり教育の結果として、「学力が二極化している」ことを問題にしているフシがありますが、そんなことは当たり前、というより、ゆとり教育の成果と言うべきことです。出来る人はより勉強に打ち込み、できない(向いてない)人は他のことに打ち込めるようになっているならそれは結構なことではないですか。

数式がサラサラ展開できるのも、国旗を全部覚えているのも、電車の名前がスラスラ出てくるのも、多くの場合社会に出てしまえば何の役にも立たないことにおいて同列です。数式オタは研究所に、国旗オタは大使館員職員に、電車オタは鉄道職員になればそれらの知識が生かせることもあるでしょうが、それ以外の職種につけばどの知識もヘタにひけらかせば煙たがられるような知識です。

ゆとり教育の成果をもし見ようとするなら、ゆとり教育を受けた世代での各分野の頂点にいる人物が、世界的視野に立ってどの程度のレベルにあるかを評価するべきでしょう。国際数学オリンピックの日本チームの順位や、ショパンコンクールでの成績などです。それに向けて、国内では一律の学力テストなどやめて、全てコンテスト形式にすべきだったのです。

今の学生の不幸は、自分が得意だと思っていること、自分が打ち込めるものとは全く無関係なところで能力評価され、それによって人生のランキングを振り分けられてしまうところです。時刻表検定の結果が「博士」でも、期末テストの5教科の合計点が500人中490番であれば劣等性の烙印を押されてしまう今の試験制度で、ゆとり教育の成果を云々するのはちょっとおかしいのではないかと思うのです。