自分で自分の背中を押すように、またGoogleで「国府台 寿司」とか「国府台 ラーメン」「国府台 グルメ」とか、そういう前向きな言葉を検索してみたりしました。
申し込みは土地だけなのですが、それでも2000万円以上の取引になります。失敗すると取り返しがつきません。
それでももう悪い材料はこれ以上出てきそうにないので、思い切って仕事を抜け出し、近所のコンビニから申込書をFAXしました。
夕方、不動産屋さんから連絡があり、「まだ物件は売れていないのでたぶん大丈夫だと思います。ただ、今週末の内覧会は既に走ってしまっているので、現地には人がいると思いますが基本的には手に入れられると思ってください」とのことでした。
夜の現地は本当にひっそりとしていて、鈴虫の声がうるさく感じられるほどでした。隣の家には小さい子供がいるらしく、食卓を囲んで楽しそうにしている声が聞こえてきました。
近所をウロウロしていると、年配の人が数人「火の用心!!」といいながら夜回りをしているところに遭遇しました。近所の人たちの結びつきもあり、防犯にも街ぐるみで気を配っていると考えてよさそうでした。
この日、現地からスーパーまで歩いてみたのですが結構登り勾配がきつく、「女房がこの坂を毎日行き来できるのかなぁ」という不安がちょっとよぎりました。まぁ住んでしまえば慣れてしまうのではないかと思うのですが。生協もあるし。
僕がこれまで自営業者として蓄えてきたものを全て放出してしまうことになってしまうという恐ろしい契約なのですが、女房子供のためにはしかたがありません。
この日、首都東京を猛烈な台風が直撃するようでした。それもあり、これが最後の機会になりそうなので契約の前にもう一度だけ現地を見てみようと少し早めに家を出ました。女房は台風のため家で留守番です。
すでに東京の天気は崩れ始めていました。雨の現地を見ることが出来そうだと北総線の電車を待っている間、ふと持ち物を確認すると「実印を忘れている!!」
不動産契約自体には実印は不要なはずなのですが、同時にローンの審査申込もすることになっているので印鑑証明と実印を持参するように言われていたのでした。大急ぎで一度自宅に戻って印鑑を取ってきたのですが、結局この日現地を見ることはできませんでした。
不動産屋に到着すると、すでに売主の(某)地所さんは到着していました。ご挨拶をして早速契約にかかります。仲介の(某)住宅さんの担当の方が宅腱の免許をみせてくださり、番号と写真を確認して契約スタートです。
重要事項説明書を(某)住宅さんが読み上げ、細かいところを確認していきます。(某)地所さんは全てわかっていることなので、説明は僕のために行われていることになります。土地の位置とサイズ、土地の制約、現在の登記と引渡し時の状態、金銭の支払い条件などが確認されました。
そして契約書に1万5千円の印紙を貼ったもの二部にお互いに署名捺印をして契約は終了です。
大変なのはその次でした、ローンの申請に必要な書類を作成するのですが、もう何回自分の住所と名前と収入を書いて印鑑を押したのかわからなくなるほどたくさんの文書を作成しました。銀行二つぶんと、おのおのの保険の申請書類です。ホトホト疲れました。
その後、実際に建築を担当する(某)建設さんと間取りの最初の打ち合わせになりました。が、僕はこの時点では具体的なアイデアが特になく、(某)建設さんが提示されたいくつかの間取りプランを聞くのみにとどまりました。具体的な話は来週から進めていくことになるようです。
これでやっと土地を手に入れることができそうです。本格的に登記が動くのは建築請負契約が結ばれた後になりますが、サラリーマンの四男に生まれた僕が浮き草稼業を止め土地に根を下ろすことになるのです。
不動産屋さんに駅まで送ってもらいましたが、外はすでに台風の影響で大変な土砂降りでした。電車も房総半島のあたりでは既に止まり始めているようでした。何とか家までたどり着きましたが、僕みたいなのが土地を購入したりしたら台風が来るんだなぁ、などと思った一日でありました。
駅からの現地に向けての斜面は下りなのですが、やはり身重の女房には苦しそうでした。シミュレーションにもなるかという気がしたので、大変だとは思いましたがベビーカーも女房に押させました。
子供一人でもこんなに大変なのに、二人になったらどうなるんでしょうか?一人目の子はもう何か面白そうなものを見つけると勝手にベビーカーを降りて走っていってしまいます。それでも一人なら車が来ていた時に止めることもできますが、二人が同時にあっちとこっちに走り出したりすると、女房一人ではフォローできそうにありません。二人の子供を持つお母さんたちはどうしているのでしょうか・・・って、僕が四男なんだから親に聞けよ、ってところですかね。
現地は特に水がたまっている訳でもなく、あまり車も来ないので子供を遊ばせました。お菓子食べてただけという気もするのですが。
この辺りにはネコが1匹住んでいるようで、お菓子を持った子供にまとわりついていたりしましたが、このネコは家が建った後も庭に居座ったりするのでしょうか。
近所の家の建て方というのは非常に参考になります。どちらに窓を向けているか、どれ位土を盛っているか、どういう外壁を使ってどういう色にしているか、駐車場はどちら向きに作っているかなど。それを参考にしようと付近をウロウロしていると、怪しいと思ったのか近所の紳士風のおじさんが声をかけてきました。
「この土地を買って家を建てる予定なんです」と言うと、「この辺は環境は最高だよー」「ここら一帯の地主さんがすぐそこに住んでるってことは、ここら一帯のなかではここが一番いいところだと言う証拠」などと話してくれました。なんと言ってもこういう現地に何十年も住んでいる人の話は最も頼りになります。契約をした自分に大きな過ちは無さそうだと一安心することができました。
一帯が風致地区ということもあり、どの家の庭も緑がいっぱいです。ここは建ぺい率が40%、容積率80%というゆとりで家を建てなければならない地帯なのです。僕も女房もあまり庭いじりが好きなわけではないのですが、ここに住んでしまうと庭を草ボーボーにしておくわけにもいかなそうです。あまり大きくならないような木を植えて、子供の成長とともに植物の生長も楽しむような生活になるのでしょう。
近所は雑木林だらけで、男の子はそこら中に「秘密基地」を作り放題です。遭難してしまわないかと心配するほどです。僕も小学校の頃は地元の「丸亀城」の石垣をよじ登ったり、地面に空いた直径20cm、深さ不明の穴に手を肩までつっこんだりと、親が見ていたら卒倒するようなことをやっていたものですが。運良く生き延びたから笑い話にできるのです。
帰りに近所で最大のスーパー「マルエツ」に寄りました。特に買うようなものはなかったのですが、とてもきれいで大きなスーパー、しかも価格も都内よりずいぶん安く女房も大喜びでした。ここで暮らすと都内で暮らすより食費が20%ぐらいは下がりそうです。
帰りにマルエツの1階にあるマクドナルドでポテトを買ったのですが、買って出てきたところに看板で「マルエツの当日のレシートがあればポテトLが半額!」の表示があり、「それならアメでも何でも買ったのに」と女房はかなりご立腹でした。その後も30分おきぐらいにこのことを思い出してはブツブツ言っていました。
帰りはバスで市川駅まで出て(230円)総武線で帰りました。バス代はちょっとかかりますが、北総線を使うのとどっちがいいかと言われると微妙だなぁ。
ちなみにベビーカーがある場合は快速で東京駅まで行ったほうが多少遠回りですがエスカレーターが完備されていて乗換えが楽です。秋葉原駅は現在バリアフリーに向けて鋭意努力中のようですが、総武線から山手線への乗り換えは全て人力になる場合がありますので。
三連休を三日とも出歩くのはなかなか根性がいるのですが、今日は建具を見るために新橋にある松下電工ショールームを見に行くことにしました。
「間取りも決まってないのに建具かよ!」という人もいるかもしれませんが、実はこの建具は僕にとって非常に重要なことなのです。
間取りなどを自由にできるという話の中で、僕が一番気になっていたのは「田無や田尻で見た木目の建具が使えるのか」ということでした。
契約時に(某)建設さんと話をしたときは「標準の建具は松下電工のWXシリーズです」ということでしたので、このシリーズで好みの木目のカラーがあればそれがベストということになります。Web上や印刷されたカタログでは今ひとつ木目の調子などが分からないため、それをわざわざ新橋まで確認しに行くというのが今日の目的なのでした。
で、現地まで行って確認してみたのですが、目的の木目の建具はありませんでした。どれもまぁ「普通」の木目で、悪いわけではないのですが「ゆらゆら木目」が頭にしみついている僕には魅力的に感じられませんでした。
ついでにユニットバスと洗面化粧台も見せてもらいました。ユニットバスは標準品でもまぁなかなかよさそうです。が、標準になっている洗面化粧台「Well」は実物を見た感じかなり安っぽい印象でした。
まぁ当たり前といえば当たり前なのですが、標準品はほぼ全ての建具、調度品が「いちばん安いグレード」なのですね。しょうがないのは分かるのですが、実際に実物を見てみると少しションボリします。でもまぁ、今のマンションで使っているものと比べて格別悪いわけでもないですし、一流ホテルにあるような豪華な洗面化粧台が家に必要なわけでもないでしょうから、これでいいのだと思いますが。
祝日ということもあってショールームは大変な混雑で、見るものを見てカタログをもらったらそそくさと退散しました。結構ショールームって疲れます。
帰りに新橋の香川県と愛媛県が共同でやっているアンテナショップ「香川・愛媛せとうち旬彩館」に寄って帰りました。行く途中で見つけたのですが荷物が増えるので帰りに寄ることにしたのです。2階でうどんを食べられるようだったのですが、夕方からは飲み屋になってしまうようでうどんは食べられませんでした。その代わりに「讃岐の夢2000」という、NHKのプロジェクトXでブレークしたうどんの粉を買って帰りました。
これは実はとても難しい問題です。「どのような間取りがいいか」というのは結局「どのようなライフスタイルを送るか」ということを決めなければ決まるものではありません。そして「どのようなライフスタイルを送るか」というのは「自分はどのような人生を送るのか」「自分の子供にどんな人生を送らせたいのか」につながってきます。
これまでいろんな建売の物件を見てきた僕と女房は、どこの物件にもあった「1階が洋風のLDK(+和室)で2階が洋室3部屋」というのにすっかり慣れっこになっていました。それがなんとなく今風の家として当然だと感じていました。
ショールームや家具のパンフレットに出ているような洒落たフローリングのリビングにカウンターキッチン。ソファに降り注ぐレースのカーテン越しの窓からの明かり。ガラステーブルに乗ったティーセット。そんなものへの漠然とした憧れもあり、夫婦二人して今度住む部屋のリビングは洋室、というイメージが頭の中に出来上がっていたのでした。沢山のモデルルームに洗脳されていたのかもしれません。
毒されずとも、現状の建売はほぼ全部リビングが洋室です。最初から建売を探していた僕らには洋室のリビングが当然のものとして受け入れられていました。
しかし、しかしです。「家は今から建てます。間取りは自由になります。」と言われてしまうと果たして本当にそういう洋風のリビングが自分達に心からの安息をもたらしてくれるのかどうか、という疑問が湧き起こってきたのです。
僕の実家では、今でこそテーブルに椅子というスタイルになっていますが、僕が子供の頃はちゃぶ台に座布団でした。女房の実家は今でもそうです。そして何より、現状の我々の生活がちゃぶ台で畳の上に座っての食事なのです。もちろんちゃぶ台を脇に寄せればそこがリビングルームなのです。
貧乏臭いと言われようが、ぼくにとっての「くつろぎ」とは「畳の上に横になって座布団を二つ折りにした枕でテレビを見る」ことなのです。女房も基本的にこれまでのライフスタイルはそうだったはずです。天空の城ラピュタ風に言えば「人は畳から離れては生きていけないのっ!!」ということなのです。
女房の実家は築70年にはなろうかという純日本家屋で、遊びに行くと女房の実家であることもすっかり忘れて全身リラックスしてしまい、座布団を枕にして天井のフシなど数えながらスヤスヤ眠ってしまいます。
そんなことを考えていると、これまでなんとなく二人のコンセンサスであった「洋風でソファのあるリビング」というものが、だんだん怪しくなってきました。
で、女房に「もしかすると、リビングというのは『そこはかとないあこがれ』などで考えてはいけないのではないか。自分達が本当にリラックスできる居間というのはどういうものなのか、もう一度冷静に考えてみるべきなのではないか」ということを話してみたところ、「うーん。難しいなぁ・・・」といった答え。
やっぱりなぁ、難しいなぁ。
続く。
が、困ったことにダイケンのショールームは土日やっていないのです。平日の朝、仕事の前に寄るしかありません。おそらく業者以外の訪問を考慮していないのでしょう。でも建具は施主自身が見て選ぶこともあるのですから、土日もやって欲しいものです。松下電工は土日にツアーバスまで用意して客を呼び込んでいるようでした。
とまぁ苦言を言ってしまいましたが、新宿のショールーム自体はなかなかいいところでした。建具のところに行ってみると・・・ありました。かすかに揺らめくような木目の入った建具が。やっとめぐり合えたのです。目当ての建具は、ダイケンのRシリーズで、「ネオブラウン」というカラーで売られていました。名前だけ聞くとただの茶色い木のようですが、この色で頼むと独特の木目の入った建具が届くようです。
僕がなんでこの木目にこだわるようになったかというと、僕が木目フェチなのもありますが、こういう木目が楽器に使用される木材の中で頻繁に見られるからです。楽器の場合は「メイプル」つまりカエデの木の特定の樹種に現れるものが多く、この世界では「タイガーメイプル」「フィガードメイプル」「カーリーメイプル」「トラ杢」などと呼ばれています。この楽器のボディ部にあるような壮絶なシマシマが楽器業界では珍重されるのです。バイオリンの裏側やネックにもこの材が使われることが多いようです。
このダイケンの「ネオブラウン」を使って家を建てると、そんな楽器の中に住んでいるような幸せ感を感じることができるのです。
この時点で、僕にはもうこのダイケンの建具以外は全てつまらないものに見えるようになってしまっていました・・・・
そして捜し求めていたものを見つけた満足感の中、僕は電話帳のような建具のカタログをもらってダイケンのショールームを後にしたのでした。
女房も悩んでいるようでした。リビングというのは知り合いが訪ねてきた時の応接間としても機能します。そう考えると「見栄え」というのもリビングに必要な要素の一つであることも確かでしょう。あまり生活感がにじみ出たような部屋にお客さんを通すのは気が退けるというのも分からなくはありません。
確かに畳の部屋は所帯じみたムードが漂いがちです。きちんと片付いていない場合はなおさらです。凛として張りのある和室と言うのは、そことは別に居室があって初めて成立するもののように思えます。そこでずっと暮らしている和室というのはどうしても所帯じみてしまいます。純粋な和室には細かいものを収納するスペースがないからかもしれません。
女房の実家のリビングはもちろん和室ですが、壁全体が収納になっており部屋はかなり片付いています。もちろんこれは義母がマメに片付けているからでしょうが、収納がちゃんとある和室は案外所帯じみないものなのかもしれません。
考えました。
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う〜ん
やっぱり、居間は畳にしよう。和室である必要はないですが、畳の上で生活をするというのは、「くつろぐ」という場にどうしても必要な気がするのです。ただし、部屋がなるべく片付くように収納をなるべくとって、テレビを畳の上に置く必要がないようにするために一辺に板敷きの場所を作ってもらおう。
リビングを畳にする。その一点が決まっただけで、あとのことはスルスルと頭の中でイメージできてしまいました。本当に「居間」をどうするかというのは一戸建ての間取りを決める上で一番重要なポイントであることを実感しました。
女房にそれを伝えたところ、異存はないようでした。やはり彼女も「畳の国の人」だったのです。居間はある意味「女房の巣」な訳ですから一番そこにいる時間が長いと思うので、彼女が絵を書いてくれるのが一番いいとは思うのですが、絵は苦手なようで・・・結局僕が下手な絵を書くことになりました。ノートの端に書いた部屋のイメージ画を見せながら、頭の中にある間取りのイメージを女房に伝えていきました。
明日の打ち合わせの話がスムーズに進むよう、今日中にこちらの間取りのある程度具体的なイメージを前日までに伝えて欲しいという話もありましたので、間取りについて整理したものをFAXするようにしました。
頭の中で家の中をイメージして、その中を歩き回って必要な要素を書き込んで見ました。
間取りを決める上で結構重要なことがもう一つありました。
「果たして二階にトイレは必要なのか」ということです。
僕の実家も女房の実家も、トイレは1階にしかありません。それで特に不自由は感じていなかったので、最近の新築住宅のほとんどが二階にトイレを備えているのが不思議でしょうがありません。
二階にトイレを付ける理由は、
でも、以下のようなデメリットもあります
で、この日に出した結論は「二階にトイレはいらないだろう」というものでした。
「必要になってからつければいいし、そんなことに最初からお金を使うぐらいなら少しでもいいフローリングにしてもらったほうがいいや」と。
とまぁ、こんな考えを入れつつ、シコシコと手書きしたものがこれです。(クリックで拡大)
これに加えて、
まぁ、この時点では我ながらよくまとまったものだなぁと思いつつ・・・・
昨日FAXしたものについて意見をうかがうと、何とすでにそれを反映した簡単な図面ができており、それをベースに話を進めていくことにしました。
もらった図面を僕が送ったものと比較すると、
建物の向きについては「こういう向きの場合は南と東に大きな窓をつけるのが普通です」ということでした。
なるほど確かにそうです。では僕は何故最初に西向きの図面を書いたのでしょうか?
それは多分、僕の実家が西に庭を持ち、西向きに縁側があるような造りになっているからだと思います。僕は無意識に自分の実家の間取りを参考にして絵を書いていたのでした。
トイレについては、やはり僕の間取りには無理があってどうしても入らなかったようです。トイレは玄関を入ったところに移されていました。
冷蔵庫の設置場所も設けられていました。
縁側が南東を向いていることに関しては、「そのほうが自然だと思ったから」だそうです。しかし、ここに地面までの大きさの窓があると、道路側から部屋が一望できてしまい落ち着かないので、居間への出入り口は建物の側面部、北西の側に変えてもらいました。
このあたりは微妙に日当たりに影響するかもしれません。
二階の間取りに関しても、特にこだわりがなかったのですがベランダが二箇所になっていました。2階に関しては収納の向きなどを少し変えてもらった程度で、ほとんど変更はありませんでした。
最初の打ち合わせでこんなにまとまってしまっていいものなのでしょうか・・・他のホームページなど見るとものすごいこだわりようで何ヶ月もあーだこーだやっている人もいるようなのですが。
まぁ、基本は建売ということなので、あまりこだわってもしょうがないのだとはおもいますが。
間取り図が修正されていて、だいぶすっきりしました。
この日はまぁさほど大きな変更はなく、「二階の仕事部屋に本棚が入ると思うので、重量物を意識した補強をしてほしい」というような細かい話に終始しました。
わずか二階の打ち合わせで、間取りについてはほとんど本決まりになってしまったようです。
実は一つだけ心にひっかかっているところがあります。それは、玄関から入ってきたお客さんが、ダイニングキッチンを通過しなければ居間に行くことができないということです。これはどうなのでしょうか・・・
ですが実際、一階の南にリビング、北に玄関を配置し、面積を有効に使うべく廊下を廃するとどうしてもこういう間取りにならざるを得ません。まぁダイニングキッチンを見られると困るような客を居間に通すことがあるかというと、それほど問題も無いのかもしれません。
この家の一つのコンセプトは、「さりげなく微妙にプライベートを制限する」というところです。階段の上り口がダイニングキッチンにあるのもそのためです。外から帰ってきたら、ダイニングキッチンを通らないと二階に行けないのです。
僕がこういう考え方をするのに至ったのには理由があります。
自分が大した反抗期もなく、そこそこ両親とコミュニケーションをとりながら成長した理由を考えると、自分の部屋にあったビールケースのことを思い出さずにはいられません。
父は酒飲みで、ビールが大好きだったのですが、ケースで注文したビールを置く場所がダイニングに無く、廊下を挟んで向かいにあった子供部屋に置いていました。
そのせいで、僕ら子供はいつ何時ドアが開いて父親がビールを取りに来るかわからない状況を当たり前のようにして幼少期から青年期を過ごしたのです。結果、なんとなくコソコソと親に隠れて部屋に閉じこもるような人間にならなかったような気がするのです。自分で。
その代わり、ビールの味を覚えたのも早かったのですが・・・
まぁ、副作用もありますが、子供にとって自分の部屋が「自分のために用意された自分だけの閉ざされた空間」ではなく「共有されている空間の一部を間借りしているだけ」であるという感覚を小さいときから当たり前のように感じていることはとても重要なことのように思えます。
僕はこの考えを家に盛り込みたいと思っているのです。
さしあたっては、「子供部屋のビール」に当たるものを何にするかが問題です。今の所なんとなく「デジタルピアノ」かなぁ・・・などと考えております。
実際、「ちゃんとした図面も無いのに建築請負契約書に判子を押す方が大馬鹿」とまで言い切っているところもあります。確かに、図面に書かれていないところはどんな風に作られても「こういう風につくるつもりでした」で終わってしまいます。
というようなことを考えていると、自分がどんな図面で建築請負契約を結ぶことになるのかが不安になってしまいます。そこで、(某)住宅さんに「普通家を建てるときには以下のような図面が契約前に提示されるようですが、今回契約までに作成される設計図書はなんでしょうか?」というような質問事項をFAXしました。
この図面で契約してしまっていいのかどうかずいぶん考えました・・・
図面がビシッと揃っていたところで、施工が悪ければ意味が無いわけですし、逆に図面が揃っていなくとも、同じような仕様の建物をずっと作っているならアッサリと家が建ってしまうのかもしれません。
ううむ・・・・・
(某)住宅さんは、来週にでも建築請負契約をしたがっているようです。ですが困ったことに僕の中ではまだ心の準備ができていません。要は踏ん切りの問題だけなのです。
とにかく踏ん切りが付かないので、(某)住宅さんに泣いてお願いして、建築請負契約を2週間後にしてもらいました。伸ばしてもらったからといって何か変わるわけでもないのですが。むしろこれから先寒くなっていくことを考えると、一日も早く基礎を打ち始めたほうがいいというところもあります。そんなことはわかっているのですが・・・
で、東側に戸袋を設けて、そこに2枚の引き戸が一度に収納できるような建具に変更してもらうようお願いのFAXをしました。こういうところって他にもあるような気がします・・・あまり気づくのが遅いと修正できなくなってしまいますからなるべく早くイメージを作って問題を出し切った方がいいのですが。
(某)住宅さんに赴き、11月3日にお願いした変更が反映されている図面を見せてもらいました。
まぁ「これから先、一切の設計変更は許しません」というわけでも無いようなので、図面に関してはこれでOKということにしました。
後は概算見積書です。(某)住宅さんが1行1行読み上げてくれるので、それに黙々と相槌を打ちます。金額については当初から見積もりが出ていたので、まぁその金額になるように細かい見積もりを書いたものということになります。あくまで概算なので細かいことを言ってもしょうがありません。
後は契約書にハンコです。土地の契約書ほど沢山のことが書かれているわけではありません。まぁお決まりのことなのですが、納期と手付金の保全方法などを確認してハンコを押しました。これで後は土地登記の移転をすれば、建築が始まります。
これでようやく半年後にマイホームを持てることが決定したわけです。もちろんこれはスタート地点で、本当に大変なのは建物が建ち始めるこれからなのですが。
年度内は仕事がありますが、来年の予定はスッカラカンなので、毎日でも現場に行って大工さんの仕事ぶりを見せてもらおうと思っていたりします。
土地に関しては完全に現金払いなので銀行の抵当権なども付かず、まったくもって僕のものになるはずです。
明日は行政書士の先生が来て、僕の現金が先方に振り込まれた時点で登記の移転作業に走ってくれるはずです。で、明日のうちに 新しい登記簿が僕に渡されるのではないかと。
登記のついでにローンの申し込みもしてしまうとのことなので、明日必要なものは以下のようになります。
土地を購入して初めてわかったのですが、土地を購入する際、お金を渡してから実際に土地の名義が変わって登記簿が届くまでに結構な時間がかかるのです。この間、僕は「お金はなくなったが土地は手に入っていない」状態なわけです。数週間後に登記簿が届くまでは、実際に土地の取引が正常に行われているかどうかは不動産屋を信用するしかないのです。
宅建業の免許書を見せられたところで、自分がン千万のお金を信用だけで預けるのは非常に勇気がいります。もちろん領収書は手元に残るのですが、相手に100%の悪意があれば領収書など紙切れ同然です。
実際の土地取引は某銀行の支店の応接テーブルにて行われました。行政書士の先生(と名乗る男!でしかこの時点ではない)に挨拶をし、銀行員に印鑑と振替依頼書を渡して、銀行を出るころには独身時代からコツコツと貯めた貯金がすっかりオケラになってしまいました。
家に帰る頃にはこの「お金はなくなったけど手元には領収書だけ」という事実が自分に重くのしかかってきて、疑心暗鬼が心に影を落とし始めます。
これとは別に、実はほっとしたこともひとつあります。
家を買おうと思い立って不動産屋を回ると、実は非常な危険に身をさらすことになるのです。それは「自分の家族構成と資金力が、不特定多数の人にモレモレになってしまう」ということです。
不動産を見に行くと、どこでもアンケートのようなものが用意されていて、自分の現在の資金や収入、家族構成などを書かされるわけです。この文書は、見る人によっては「家を買う頭金程度の現金が用意できていて、小さい子供がいる家庭の住所を書いてある紙」です。考えようによってはこれほど危険な文書は他にないのではないかと思えるほどです。ADSL加入者の名簿などとは比較にならないほど危険な個人情報です。この事実を不動産業界とそれを管轄する機関および警察はどう考えているのでしょうか。
とにかく土地を実際に取引した現在、僕は現金にとても不自由になってしまったので、今子供を誘拐されてしまったところですぐにお金を用意できるわけではないですから、ある意味少し気が楽になりました。とはいっても、子供が誘拐されてしまったり、振り込め詐欺の電話がかかって来る可能性がなくなったわけではないのですが。
とまぁいろいろなことを考えつつ、さぁ、果たして僕は無事登記簿を手にすることができるのでしょうか・・・・
それを見て少し安心したのですが、まだ不在配達の紙だけで安心するのもアレですから、とにかく土曜日に再配達をお願いしてその日を待つことにしました。
土曜日、権利書が届きました。とまぁそれだけなのですが、この書類を信用するならば僕は晴れて根無し草から地主になれたことになります。無産階級よさようなら。思えばサラリーマンの四男に生まれ、19歳で東京に出てきてから17年の借家住まい。仕事をしながらお金を貯めてようやく終の棲家を手に入れることができました。もうここに住民票を移したらそれが最後の移転届けになるでしょう。銀行や郵便局やソフトウェアのサポートや免許屋に住所変更を連絡する必要もこの引越しが最後になります。本籍も移しましょう。二人の子供よここが君たちの故郷だ。きっといい家を建てるからシールや落書きはほどほどにしてくれよ。
庭には栗の木を植えよう。子供が学校に通う頃には秋にイガイガを付けるようになっているだろう。それを拾い集めて食べることで、人間はスーパーマルエツがあるからご飯を食べられるのではなく、自然の恵みで生きているのだということを肌で感じてほしいのだ。
地面があるからそこに太陽が降り注ぎ、実りが訪れる。そこに家を建て、家庭を築くこともできる。ああ、地面ってすばらしい!!!